旅逢
telアイコン
お知らせ
背景1 タイトルイラスト1 タイトルイラスト2

2022年 初詣

公開日:2022年01月03日
blog

#2022年1月2日 

静岡市 「久能山東照宮」

寅年に因んで、「久能山東照宮」へ初詣に行って来ました。「何故、寅年だと久能山東照宮なのか?」と言われたら、東照宮に祀られている御祭神の「徳川家康公」は、「天文11年12月26日」生まれで、この日は「寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻」だったと言われています。また、家康の両親が子供の誕生を祈願した「三河鳳来寺」に有った「十二神将の一つ、寅童子が家康の誕生時から忽然と消えて、家康が亡くなると元の場所に戻っていた」との伝説もあります。まさに、「寅(虎)」は、家康公の「象徴」とも言われているのです。

1月2日。ロープウェイは、チケットを購入時に時間指定がありました。ゴンドラは、5分間隔の運転。チケットを購入してから、売店や外の特設キッチンカーを覗きながら待って、チケット購入後、約45分程でロープウェイに乗車出来ました。日本平から、久能山まで、ロープウェイで約5分間程の空中遊覧です。

東照宮への参道は、久能海岸からの階段を利用して、海抜210mの東照宮まで、本来は「1159段」を上ることになります。先日、小学生の修学旅行のお仕事で、私は久しぶりに上りましたので・・・今回は、ロープウェイを利用しての初詣参拝にしました。

因みに、宮司様、巫女様などの東照宮にお勤めの方々は、毎日、この参道(階段)を歩かれているそうです。

御前崎の先端から久能山を経由して、直線で霊峰富士山までは約100キロの距離。その真ん中に久能山があり、このルートを「龍脈」(龍の通り道)と呼び、とても良い「気」が流れているそうです。

実は、この久能山は、戦国時代には、武田信玄の久能城というお城が築かれた場所なのです。「勘助井戸」なども残っています。武田信玄亡き後、徳川家康がこの地に自身を埋葬するようにと、遺言を残されました。眼下に広がる駿河湾、日本一の富士山、故郷の三河国を見つめられるこの地に400年以上眠っておられます。

1616年4月17日に駿府城で75歳で亡くなると、その日の内に遺言に従って、久能山へ遺骸は埋葬されました。1年後、日光東照宮が造営されると御霊を移し、「東照大権現」として江戸の鬼門を守り、関八州の鎮守となりました。

因みに・・・

「日光東照宮」には、「陽明門」という豪華絢爛な門があります。この門を支える柱の内の1本が模様が逆さまになっています。「逆さ柱」と呼ばれていますが、「逆さ葵」と併せて、これらは当時の職人が間違えた訳ではないんです。江戸時代には、「完成した物は、その後、朽ちていくのみ。あえて未完成にしておくことで、朽ちることなく永遠に残ることを願った」との考えがあったと言われています。

家康公の神廟(お墓)の横には、「金のなる木」があります。

実は、平成27年10月に初代の「金のなる木」は伐採されてます。初代は「大杉」であり、現在、2代目の「金のなる木」は、初代の斜め後ろにあった「大楠」です。

時価1兆円の資産を残したと言われる家康公。家康公が家来達に説いた「金のなる木」のお話。

是非、ご自身で現地へお尋ね頂き、看板にあるこの話をご自身で読んでみて下さい。11本の木(枝)を守ることが出来たら、お金持ちになれると言われますが、なかなか難しいと事だと思います。

昨年は、動けない中でも、色々とパワーを使いました。新年から「久能山東照宮」で、パワーチャージをして、気持ち新たに、本年は更なる挑戦をして行こうと思っております。

ご縁ありまして、弊社のホームページをご覧頂いた皆様、そして長年ご愛顧戴いております皆様、どうぞ本年も弊社「旅逢」を宜しくお願い申し上げます。